被害者にならない為の知識-精神薬を学ぶ-

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雅子様への手紙

親愛なる 雅子様

 わたくしのような、ごく一般人が、お手紙をお書きする事がなんの意味があろうか・・と思いつつ、しかし、しばしこの紙切れに目を通していただけることを頭に思い描きながら、書かせていただきます。読み終わった頃に、私の言わんとする所が分かっていただけたら幸いです。

 私は、小4と小5の息子の母親で、離婚歴があります。住まいはとある九州の田舎町、田園風景のなか暮らしています。以前は居住地役場で職員として働いていましたが、ある病に9年前からかかり、今年の3月末に退職いたしました。病のきっかけは、それは約9年前に遡ります。離婚、借金、夜は乳飲み子におっぱいを与えながらの勤務、職場でのパワハラ・・・あげればきりがない様々な苦悩の中にいて、当然の成り行きか体調を崩しました。全身検査するも原因がわからず、主治医は自律神経失調症と診断、心療内科への受診を薦めました。はじめは、少しぐっすりと眠られたらそれでよかったので、処方された睡眠薬を服用しましたが、その頃出現していた自律神経失調症状が眠剤で少し眠れた位ではどうにも回復できず、精神科医は変薬、増薬を薦めました。その頃はまだばりばり働いていましたので、何とか症状を抑えながらでも勤務できる道をと、医師に言われるがまま服薬をしました。しかし、体重の急激な増減、さらなる症状の悪化と、ころころと石が坂道をころげ落ちていくかのように心身両面コントロールがきかなくなりました。症状の悪化、薬の多剤処方、さらなる症状に対する増薬・・・その流れが数年続き、とうとうこのての薬剤については最も出てはならない副作用、遅発性ジスキネジアを煩うことになりました。それが今から約5年前のことです。つまり、服薬開始から4年半くらい経過していました。そのような状況で、何が当時出来たか・・・今となっては答えは簡単でも、当時はとにかく日々必死だったと言うことだけは確かでした。ここまで書いてきて、私が何を雅子様にお伝えしたいのかきっとまだわかっていただけないと思いますが、もうしばらく発症当時の私の状況を遡って詳しく書かせていただきます。

 私は年子で、二人の息子を帝王切開で出産しました。傷口もまだ生々しい時期に仕事に復帰し、ほとんど夜も育児で眠れない状態で仕事をしましたので、症状が出始めた頃は眠れず、こどもの声も昼夜聞こえるようで、とにかく眠りたかったのです。当時の主治医に処方された安定剤は眠剤の役目もあるもので、服薬した瞬間はしばらく落ちついた精神状態で数時間は記憶なく眠れたようでした。しかし、日常が何ら変わらない環境の中、服薬量は増えていき、常に口の中に入れておかなければならない状況で仕事をしていました。

 しかし、直ぐに睡眠もほとんどとれなくなり、主治医は抗うつ薬を薦めました。私は、ただただ何とか生活を維持するために、薦められるがまま服薬しました。それからが地獄の始まり、症状は服薬動機がなんだったかわからなくなるほど、ものすごい副作用に襲われることになり、体重がみるみる落ちていきました。しかし、考えていることがうまくまとまらない症状も強まっていたことで、様々なストレスを考えないような思考回路になっていたことが幸いして、呪文のように何とかなると言い聞かせる事で仕事を続けられていました。それでも体調が悪いときは、休職願を出し、休職する事でつなげていく日々となり・・・。そうしていく生活も、ある状況で見直さざるを得なくなりました。最も恐れていた遅発性ジスキネジア症状の出現です。

 これを当時医師は認めず、さらなる投薬をと言われましたが、これでは薬で私の人生はどうなるのかという不安がやっとの所よぎり、必死にネットや書物を読みあさり、この場合現在の医療では治療方法が確立されておらず、減断薬して様子をみるとあり、そのサポートをしてもらえる所を見つけはしたものの見つからず、自力で減薬していくことにしました。その際参考にしたのは、外国の精神薬関連の情報をネットで検索し、その中で見つけた論文を元に減薬計画を立て、実行しました。その間、様々な離脱症状を経験、副作用と合わさって、それは筆舌に尽くし難いものでした。もはや人間ではなかったと思います。その頃子育ては両親にお願いせざるを得ない状況で、ほとんどを休職して症状を乗り越える時間に充てざるを得なくなりました。その頃必死に精神薬について調べていくうちに、私の体に起こっていることは、私の病からと言うよりも、精神薬の性質に由来するものが多いことを知りました。薬の耐性により増薬が必要であること、依存性があること、離脱症状が人によっては出現すること、これらの性質により断薬完治は難しいこと・・・それまで治ると信じてきた事が、一気に死へ近づいている状況であると知り、体ががくがくと震えるほどの衝撃を受けたことを今でも覚えています。

 私が経験している遅発性ジスキネジアは、非可逆性の症状で西洋医学ではもう完治は望めないとされているものです。私は精神科受診当初、治りたいために次々の増薬を受け入れ、治りたいがために医師の言葉を信じてまじめに服用しました。にもかかわらず、最後は障害者になっていたのです。

 生きる希望を無くし、何度か自殺未遂を経験したとき、東洋医学に出会いました。心身両面からのケア、手当、そして魂のレベルから症状をとらえるその世界観、奥深さに私はいやされ、回復し、今ようやく簡単な仕事が出来るまでに回復しています。西洋薬は決して万能ではなく、時に使い方を間違えたらとんでもない状況を生むことを経験してから、特に精神科の薬に関しては、これは決して治療薬では無く、魂の叫びにふたをするだけだと確信しました。しかし、もちろん西洋薬を全否定しているわけではありません。

 雅子様が、薬物治療で完治を目指されていることは情報番組から知っています。しかし、私は、精神の病は薬などによってではなく、他の手だてが必要だと経験から知っています。心は、心によってしか癒されず、身体の回復は、心の回復によってのみ治癒に導かれるものであるのだと。であれば、雅子様は、どこに心の傷があるのか、どこに原因がありそれを取り除く必要があるのか、もしも実際に取り除く事が不可能なら、どのような心の癒やしがあればいいのか、そこを丁寧に、しかし深く考えていく必要があると思います。

 雅子様のお立場を思うと、自分は代わることは出来ずとも、同じ精神薬を服薬してきた私としては、とても胸が痛く苦しい状況であることは容易に想像できます。そして、その状況で私のように自己責任で断薬を安易におすすめすることも出来ません。しかし、今のままでは何らかの形で大幅に見直さなければならない状況がくることは明らかだと思うのです。ある医師は、私にオフレコと言いながら、精神薬が身体に合わなくてよかった、かえって何も無いなら一生飲む羽目になったでしょうと言いました。しばらくして、東洋医学での完治を目指すことを、理解しサポートいただける医師にも出会いました。そして実際東洋医学の治療を受けることで不治と言われた症状も回復しつつある現実に行きついた今では、私はなぜ回復してきたのかと考えると、自分がその道を望んだ瞬間からその道がご縁という形でやってきたということなのだと分かります。私が望まなければ、今世をもう生きていなかったかもしれないし、不治の病を抱え、絶望の中にいたかもしれない。しかし、私の魂はまだまだに生きたくて、こども達の笑顔といたくて、そして出逢いを引き寄せたのだと思います。人生は、自分次第でいかようにも変わるし、変えることが出来ます。逆に言えば、自分しか変えられません。必ず最善の方法が、求めたときから向こうからやってきます。

 どうか、雅子様とこの手紙とがご縁があり、雅子様の病が癒されるきっかけとなりますように。

40代主婦
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  1. 2012/11/16(金) 00:40:30|
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