被害者にならない為の知識-精神薬を学ぶ-

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またしても転院-介護の日々-

平成20年1月13日退院の日。
一日おきに出る体調が優れない日であった。リクライニング付きのタクシーに母を乗せ、施設まで直行した。施設の部屋へ連れていっても、母の不安は治まらなかった。施設のスタッフもやや困った様子であった。小さな子供のように母は駄々をこねる。初めての老人施設での対処が分からない私は、入居する前に、周囲の知人達に、入居後の対応を参考までに聞いていた。最初は、どんな老人でも家に帰りたいと言うとのこと。自立をさせる為には、頻繁に面会しない方がベスト。月1~2回で十分というアドバイスを受けた。なによりも自分の人生を大切にした方が良いと、大半の人がそのように回答してくれた。老人施設へ入居させた後、母とはどのように携わってよいか分からない私にとっては、とても有難いアドバイスと受け止めた。しかし、親を施設へ入れることを賛成する人ばかりではなかった。「親を施設へ入れるとは何事!」と、懇意にしている友人が猛反対をしてきたのだ。「親は子供が看るべきでしょう!」「お母さんは施設より家がいいに決まっている。」と、これまた怒りまくってくる始末。
施設というだけで、今どきこんな偏見を持っている人がいるのか?と、正直、私は耳を疑った。誰もが皆、老いて病床にいる親と仲良く一緒に暮らし、最後は看取りたいと望んでいるのではないだろうか。老いるということは病むこと。親が病めば、子として看病、介護するのは、当然と考える。しかし、その家庭により、また、親の病状によっては、仕方なく施設へ預けなければならない場合もある。無理に在宅介護をした結果、家庭崩壊となってしまうケースも多々ある現状だ。其々、人は皆、違った環境で生活をしている訳で、選択肢も色々あってよいと思う。双方の幸せを考えれば、老人にとって施設での生活の方がベストなこともある。老人介護の経験がない人には、おそらく過酷な介護の実態を理解していないのだと思うが、だからと言って、親の看病で四苦八苦している介護者に対して、責めるような言語は慎むべきである。それは、ますます介護者を追い詰め、孤独に追いやられ、結果、最悪なケースになる場合があるからだ。淋しい事だが、見解の相違から、その友人とは疎遠になってしまった。

周囲から、頻繁に面会をしない方がいいというアドバイスを受けたが、やはり、心配なのと施設にご迷惑をかけていないか不安だった私は、1週間に一度は面会に行く事に決めた。しかし、それでも心配になって入居2日後、結局、施設に出向いてしまった。母の部屋の扉をそっと開けた。TVも付けないで母はボーとした覇気のない顔をして椅子に座っていた。私を見るなり「侘しい」と小声で一言口走った。またもや、別人の母がそこにいた。
新しい環境の中、どのように過し、他人と接してよいか分からないのであろう。
その上、食べることが大好きな母にとって、食を楽しむ時間がないのだから。
スタッフが私にお茶を持ってきてくれた。母は「お茶!」と言って笑みを浮かべながら私のお茶を飲もうとした。私は困った。「じゃぁ、ほんの少しだけ口に入れてみる?」と言い、母の口元に湯呑みを近づけた。ほんの少量だがお茶を口へ入れた途端、「あかん、飲まれへん」と、母は悲しい表情を浮かべた。せっかく、スタッフの方が美味しいお煎茶を入れてくれたのだが、流石に母の目の前で、私だけお茶を飲むわけにはいかなかった。

 施設へ入居して1週間。施設から呼び出しがあった。何が起こったのか懸念した私は、ひとりでは心細いので従姉妹に同席をお願いした。介護室のサロンで待っていたところに、月1回検診に訪れるというT病院の、物忘れ外来専門医であるM医師を紹介された。ソーシャルワーカー、ケアマネージャーも同席した。結論として、母を今の状態では施設では預かれないと報告を受けたのだった。一日置に夜中は廊下を周徊し、時より奇声を上げ、隣のお部屋の方が驚いて夜中に部屋を飛び出したこともあったと言う。するとそこに、いきなり母の叫ぶ大きな声が聞こえてきた。「あ~これではだめだ!」と、私は心臓が止まりそうになった。M医師は「ここでダメなら何処行ってもダメだよ。」と、厳しい説明を受けた。ひとりのケアマネージャーが「経験から言って、あれだけ声を出せるなら食べられる気がします。」と話してきた。「とにかく再度入院して、しっかり治しなさい。」とM医師からご指示を受けた。M医師の計らいでT病院へ入院することになった。ベッド待ちということで、それまで施設にお世話になる為、毎日、通わなければならない状況になってしまった。私が施設に到着する迄、ケアスタッフの方々は、交代で母に付きっきりでケアしてくれたことに、本当に頭が下がる思いである。

 今まで何度も繰り返される外圧には、私の精神をもヅタヅタにした。当時、従姉妹は、私に対して自死の不安を感じていたという。久々に、私は精神科医のE院長のクリニックへ出向いた。とにかくE院長に会いたかった。近くにいたかった。待合室で3時間もの長い時間が過ぎた。自律神経のバランスを崩していたのか、身体中が冷え、その間、トイレに2回立った。
待合室には書物以外に、壁に、色々な文言が書かれているものが貼られてあった。「病むということ。それは人間であるということ。」私はその言葉から目が離れず、暫く眺めて、心の中で囁いていた。なぜか、唯一の癒しだった。やっと受診の番だ。E院長に今までの経緯を説明した。「S病院の医師はきちんと診てくれなかったんだね」とE院長は残念そうに語り「お母さんはおそらく薬害だね。」「薬害からパーキンソンのような症状が出る場合があるが、発症したら、中々、回復は難しい。」と説明を受けた。私は、過労から自立神経のバランスを崩していることや、その上、不眠も伝え、習慣性のない軽い薬を処方してもらうことにした。診察後、久々に精神福祉士の方と夕飯を共にしたことで、少しは気分転換にはなった。
 
 施設へ着き、母の部屋へ入ると、母は洗面所でコップを片手に持ち、口の中を水で湿らせては吐くということを繰り返していた。また、あのH病院での口渇症状が再発したのだ。母の横にはスタッフが付き添っていた。他にも入居者がいるのにも係わらず、母に常時付き添い、本当に申し訳なく思う。薬の副作用で、母は、自らコントロールできない状態であった。スタッフからの報告によると、尿の出がひどく悪く、出た尿は混濁しているとのこと。逓信病院から引き継いだ処置は、一日の水分摂取量がわずか200ccという少量だからと感じていた。疲労、絶望から苛立つ私は、言う事を聞かない母の頬を叩いたことも数度あった。帰宅後、ひとりソファーで身体を休めた私は、病み苦しんでいる母に手を挙げてしまったことを、後悔する日々が続いた。日頃から弱音は吐かない方だが、仏壇の前では父と兄にその事を詫び、よく泣き崩れた。
時々、父の無二の親友であるC先生に現状を伝え「辛いなぁ~。あんたの体が心配や。」と、C先生は電話で涙声だった。施設には、これ以上迷惑をかけられない。T病院への入院は非常に待ち遠しかった。

平成20年2月中旬。やっと入院の日が決まった。
施設には約1ヶ月はいたことになるが、実に長い時間だった。
朝9時には病院へ到着するには、施設を8時前に出なければならない。わざわざ遠くから、従姉妹は助っ人に来てくれた。いつものお気に入りのタクシーを頼んだ。母は「夕べは寝てない」と、話していたが、スタッフの報告によるとしっかり熟睡したようで、母は機嫌が良かった。タクシーの後部座席にはTVが装置され、椅子もリクライニングシートで足も伸ばせる。母と従姉妹は後部座席に乗せ、私は助手席に乗った。
車を走らせて5分位経った頃、母の様子がまたおかしくなった。1日おきのスイッチオンが入ったのだ。後でわかったことだが、パーキンソン症候群の特徴とされるスイッチオンオフ症状であった。身体中が強ばり、小刻みに震え、歯をガチガチさせていた。本人の意思とは関係なく、全身が常に動く症状である。本人もなんなのこれ・・・と言って不安がる。
もはや、窓から外の景色を観る余裕などない。早く病院に到着してほしいと祈るばかり。

 9時前、T病院へ到着した。入院手続きを終え、隣接している病棟へ向かった。そこは、I区の老人リハビリ療養センターの一部を精神科が間借りしているという場所であった。建物は古いが、明るく広くて衛生的な病棟という印象を持った。この病院は、以前、母がH病院にいた頃、私が母の代理としてセカンドオピニオンとして受診したところである。M医師にこの事を告げ、以前、受診したY医師が主治医になることが決まった。よもやY医師と再会できるとは、私は夢にも思わなかった。前にも述べたように、Y医師なら絶対に母を治してくれると直感が走ったので、今度こそは期待できると確信した。Y医師と担当看護師を交えて、今後の治療方針や入院生活の説明があった。精神科は閉鎖病棟の為、保護者選任申立書を提出しなければならず、霞ヶ関の家裁で面談をしなければならないことを伝えられた。
担当看護師から「お母様はもう2~3才の幼児です。娘さんはお母様なのです。」と、優しく笑みを浮かべながら、私に親切丁寧に説明をしてくれた。目からウロコというのはこの事だ。高齢になるとみんな子供に返っていく。私はそう頭では理解し、行動していたつもりだった。しかし、私はそれをどこかで否定し、母を成人として見て、接していた事に気付かされた。看護師のこの言葉で、私はやっと介護の方向性が見えてきた。さらに「介護者の方は、どうか無理をしないでください。私達がいますから大丈夫ですよ。」と、看護師が優しく私を気遣ってくれた。私はここに来てやっと肩の力が抜け、大きく深呼吸が出来るようになった。介護者に対して、こんな優しい言葉をかけてくれた看護師は、今までお目にかかったことがなかったからだ。この看護師の優しい言葉には、涙が出るほど嬉しかったことを今でも私は忘れない。

 翌日、早速、霞ヶ関の家裁へ出向き、保護者選任の面談を受けた。審査官は年配の女性で、お喋りが好きらしく好印象を持った。審査官には独身の75歳の姉がいて、老人性うつになり自分が引き取り、現在、同居していると、自分の身の上話しを始め出した。高層マンションに住み、お姉さんは時より窓から外を眺め「死にたい」と言うらしい。いつ飛び降りるかと思って心配だ。と審査官は、ご丁寧に話してくれた。母親も自分が看取った、と最後に締めくくった。散々、審査官の身の上話を聞いた上で、面談は終了した。会話のお付き合いと思い相槌は打ったものの、終始、私は無言だった。10分後、保護者選任と認められた書類を手渡され帰宅した。みんな同じ悩みを持っているのだと、私にとっては、実に癒された面談だった。

 T病院の精神科病棟には、脳梗塞からの精神疾患、老人性うつ病、認知症の患者が入院していた。病室は6人部屋だった。今まで個室で慣れていた母は、大部屋へ入る前に驚いたのか、身震いをしていた。正直、私も大変なところに来てしまったと思った。その部屋には重症患者が多く、母のベッドは中央で両サイドに挟まれるという、あまり良い場所とはいえなかった。母の左側の患者はベッドに拘束され「あ~あ~」と声を出し続け、一方右側の患者は、眼が異常に吊り上り、舌が飛び出し、その舌を動かしピチャピチャと妙な音を出すのだ。時より、アヒルのようなゲコゲコした声を張り上げる。私は全身に鳥肌が立ち嗚咽した。TVのあるサロンでは、小さな机が付いている椅子に拘束されている患者が数人いた。その中に、若い男性が拘束され座っている姿が目に入った。近くに、その若い男性の奥様がいた。聞くところによると、ご主人は8年前、若年性認知症を発症したと言う。既に行き場がなく、病院を転々としているとのこと。拘束されている姿は、見ている私も大変辛いが、しかし、拘束をしていないと、自分の室内履きのサンダルを口に入れ、それを噛むという行為に及んでしまうのである。病院側の処置は、適切と考えるしかない。家族としては耐えがたい事ではあるが、立場が変われば見える景色は違うと認識できる。
サロンの反対側に洗面場がある。そこに母はずっと立ち続け身体を小刻みに動かしながら涎を流し続けている様子を見たその奥様から「お母さんなの?」と、私に尋ねてきた。なんでこんなことになったのかしら・・・と、奥様は涙を流しながら私に抱きついてきた。そして、床にしゃがみ込んでしまった私を支えるかのようにして、お互い初対面にも係わらず、私達は抱き合って号泣してしまった。
 
母の病室には重症な患者が多くいた。大半が、薬の副作用から入院してきた患者だと看護師が教えてくれた。海外から見れば、日本の医療がまだ遅れている事や、一般的に患者軽視の医師が多いことを看護師は、懇々と、私に話してくれた。転院した先々で苦い体験してきた私には、看護師の言葉は、とても強く心に響いた。右隣の舌を突き出している老人も副作用だと聞いたが、そんな重い症状でありながら、頭は聡明と聞いて驚いた。週に2~3回、40歳位の大人しそうな息子さんが、母親の洗濯物を持って見舞いにきていた。来る度に、息子さんは呆然と母親のベッドの脇で、何も出来ず立ちすくんでいる光景が目に入ってきた。あまりにも変わり果てお母さんの姿に、信じられないという様子で言葉を失っていたように見えた。それを傍らで見ている私も辛かった。

 母の体重は25キロまで減少した。一見、少し小太りになったかと誤解するほど、異様に下半身が浮腫み始めた。血液検査、頭のMRI,胸のレントゲン等、様々な検査が始まった。一時、Y医師は、レビー小体型認知症を疑った。後頭部の血流が一部悪かったことや、物忘れ、幻覚、パーキンソン症状も併用している可能性もあるという理由からだ。
しかし、私の直感というのだろうか、レビー小体ではないと感じた。というのは、母は薬の影響で健忘症状が出ている訳で、以前、アルツハイマー型認知症の父を看てきた経験がある私には、一般的な認知症、あるいは、もの忘れとは違うと、漠然だが、そう感じていた。都心の某クリニックF院長からは、最後に「統合失調症」と診断を受けたことをY医師に伝えたところ、高齢になってからは、統合失調症を発症する症例は今までなかった。と説明を受けた。「誰でも高齢になると、身体だけが老いるのではなく、脳も老いていくのです。」と、Y医師から、素人にはとても理解しやすい説明を受け納得できた。

口頭の説明だけでは、多忙の医師には中々伝わらないと感じた私は、今までの経緯や薬歴を文書にまとめ、Y医師に手渡した。後日、Y医師から「薬剤性パーキンソン症候群」と、診断を下された。原因は多量に向精神薬を服用した為と説明を受け、やっと私は納得することができた。Y医師は、投薬をメネシットからネオドバストンに変更した。成分はメネシットと変わらない。又、長く続けていた薬を、突然中止するのは危険な為、今後は、服用していた薬の量を少しずつ減量していくとのこと。S病院で投与されていた薬は、すべて排除された。更に、神経内科のK医師からは、運動機能には全く問題ないと診断され、経菅食のカロリーを少しずつ上げていくことになった。1200カロリー、1500カロリー、最後は1900カロリーまで一気に上げていったのだ。これは、バリバリ働いている成人の摂取カロリーと同じである。それを一日、5回に分けて経菅食を続けた。というのは、母の血中たんぱく質が致死量に達していたからだ。非常に危険な状態であった。S病院では、パーキンソン病と診断され、アルブミン(たんぱく質)の上昇を抑えるためにダイエットカロリーの栄養だけで済ませていたことが、やっと私は理解ができた。というのは、S病院の看護師からパーキンソン病はアルブミンの摂取を控えるという説明を耳にしたからだった。また、水分量も200ccでは、やはり少なすぎたのだ。最低でも500cc摂取しなければならないと聞かされた。摂取水分量が少なく、その上、脳内のドーパミンを上げる朝夕2回のメネシットの投与である。水分を軽減された為に尿意すら催さない。薬物を排泄されない為、体内にメネシットが残り、母は常に興奮状態に陥り、奇声を上げ、一日中歩きっぱなしという異常な行動をしていたことが、やっと判明した。それだけではない。経菅食にはナトリウム(塩分)が入っていなかったのである。看護師は「何をやっていたのかしら!人間には塩も必要なのよ!」と怒りながら、経菅食の中に塩を混入していた。私には驚くことばかりが続き、今まで携わってきた病院が恐ろしくなった。
嚥下状態も決して悪くないと看護師は話てくれた。この病院では、嚥下のレントゲン撮影は1回の検査だけでは判断しないと言う。老人には、時間が必要で、根気よく患者の状態を観察しながら、4回もレントゲン検査を施すと、丁寧に説明をしてくれた。案の定、S病院の2人の医師の診断、治療は不適切だった! いや、そうではない。医療過誤! 間接的な殺人行為だ!

 一日5回の経管食は苦しかったようで、母は、口や鼻から吐き出すこともあった。体重は簡単には増えないものの、下半身だけは異様な浮腫みが続いた。
浮腫みの為、パジャマのズボンはパンパンになり、今にもはち切れそうで、膝を曲げることも出来ず、椅子に座ることすらできない状態が続いた。足首から下はまるで象の足。肌の色も赤黒く、もはや人間の足には見えなかった。
この浮腫みは、たんぱく質の低下からくる症状とのこと。今まで投薬されてきた薬を体外に排泄するまで、1ヶ月以上の時間を必要とした。禁断症状が出るのか、深夜には奇声を出す為、就寝時間は、時々、個室に入れられた。その間、母と私、二人三脚で向精神薬の離脱と闘った。
救われたのは、ここでは患者や介護者も、皆、同じ立場で地獄を味わっている。辛い気持ちが分かり合える介護者同士、皆一丸となって協力し、助け合ったことが、唯一、乗り越えられた理由だと思う。

 平成20年3月中旬。一日おきのスイッチオンオフ症状は、中々改善されなかった。オフの日は穏やかで、母は気分が良さそうであった。そういう日は、少しずつではあったが、おやつを食べることができるようになった。私が買ってきたケーキ2個はペロリとたいらげた。しかし、オンの日は、水がないとダメと言い出し、一日中、洗面場から離れない。興奮状態で顔の神経がピクピク動き、眼の瞳孔は大きくなったり小さくなったりとし、呼吸も苦しそうであった。それを傍らで見ている私は、とても恐怖を感じた。未だ興奮したように奇声を上げる。見舞いに来ていた患者の家族のひとりが「いくら親でも、ああなると嫌になるわよね。」と、私に正直な気持ちを伝えてきた。正にその通り。現実逃避したかった。

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