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被害者にならない為の知識-精神薬を学ぶ-

精神医療被害連絡会 公式メールマガジンユーザーの為のブログです。

一か八か-電気ショック療法-

 病棟には、次から次へと新患が入院してくる。私の顔を見るなり「ママーー!」と叫ぶお婆ちゃん。中には「お母さーん」と泣き叫んでいる女性。「お願い私を助けてください」と、一日中、その言葉を発しているお婆ちゃん。誰もいないところで、丁寧にお辞儀をしている初老の女性。いきなり怒鳴りつける90歳の元気なお爺ちゃん。姿勢よく歩き物静かでとても気品のあるハンサムなお爺様。そのお爺様は、時よりテーブルに歯磨き粉を塗りたくっている。深夜は徘徊するので拘束されている。と奥様は話してくれた。その奥様に「ハンサムなご主人様ですね。」と言ったところ「でも認知症じゃねぇ~」と顔を歪め返答してきた。確かに。と私は思った。80歳半ばの老夫婦。温厚なお爺ちゃんが突然認知症になり、凶暴性が出て、子供のいないお婆ちゃんは困惑し、右往左往しながら看病していた。同室に75歳の女性が入院してきた。「ウンコ、シッコ」を一日中言い続け、おまけにナースコールを頻繁に押し続ける。シャネラーの娘さんが一日おきに病院に来ていた。私は彼女と仲良くなった。聞くところによると、X病院で心臓の手術を受け、ICUへ一ヶ月間入っていたときに、精神疾患の症状が出てきたとのこと。母は寂しさから、あのような発言を繰り返すと、娘さんは困った様子。「うるさいのよねぇ」と、娘さんは苛立った表情を浮かべ愚痴を溢していた。

病棟のトイレを使用した時だった。隣から「娘がプラチナのネックレスを盗んだ。」「娘が通帳を持っていった。」「娘がお金を持って行き、私はお金がない。」と、ひとりで呟いている老人の声が聞こえたのだ。娘さんの話によると、お母様は1年前から老人性うつを発症したと言う。退院する前日、お母様はトイレで首にタオルを括り付け自殺を図ろうとしたのだった。娘さんは苛立ち、ひどく不安を抱いていた。今度は、どこからか「税金泥棒――!」と、男性の怒鳴る声がした。「おーーーい」と大声で言い続ける老人もいた。看護師は気を利かせ「おーい中村くん」という、昔のCDを聞かせ一緒に歌っていた。あっちこっちの病室から、様々な個性ある合唱が聞こえてくる、とても賑やかな病棟であった。ここでは、こんな光景が当たり前のように日々起きているのである。
一般の総合病院とは違い、老人ということで、ここでは何でも有りだった。何をしても許されるので、ある意味、介護者側にとっては、精神的に非常に楽な病院であった。

病んで老いた人達と接してきた事は、私にとって、とても貴重な体験であった。いづれ誰でも通る道で、そして、誰でも行く道である。老いて病んだ肉親を、決して見放してはいけないことを、痛感させられた。
特に、精神疾患を家族に持った介護者は確かに大変だが、可能な限り、面会に行くことを望む次第である。精神疾患とはいえ、家族が面会にくると、眼が輝き、嬉しそうな、又、安堵した表情を浮かべるのを、私は目の当たりにしてきた。しかし、家族が帰ると、たちまち不安そうな表情になる。たとえ、病院や施設に恵まれ、どんなに良い環境にあっても、私達は決してお爺様お婆様見を見放してはいない、いつも思っています。というような安心感、心のゆとりというのは、特に高齢者においては、絶対的に重要な事なのである。

平成20年3月中旬。入院して1ヶ月が過ぎた。
区役所から認定の調査員が訪れ、以前にも増して、母の状態が悪化したことに、調査員はショックを受けていた。結果、要介護5という認定を受けた。しばらくして、Y医師から、脳への電気けいれん療法を勧められた。これは誰でも受けられる療法ではない。脳内に大きな血栓がある場合や、アルツハイマー型認知症、糖尿病、心臓病等がある場合は、対応できなのである。
幸い、母はどこにも疾患がなかった。一気に経菅食のカロリーを上げたことが成果を出し、体重も30キロを超えてきた。血中たんぱく質の数値はまだ低いが、危険な状態からは、なんとか脱出できたのだった。
電気けいれん療法は、以前、犯罪者、あるいは統合失調症の患者に対して、静かにさせるために使用されていたことがあったと聞いた事がある。当時は、麻酔を使わず脳へ電気ショックを施したらしい。そういう事もあり、未だに偏見を持っている医師が、国内では少なくないそうだ。しかし、欧米では10年以上前から、難治性うつ病の患者には、完治度が高いと報告され、今ではこの療法は主流ではある。と本で読んだ事がある。向精神薬の副作用で苦しむなら、この方が手っ取り早いという事であるらしい。
又、レビー小体型認知症やパーキンソン病にも効果があるという症例が、国内でも報告されているようだ。ここT病院では、この電気療法を試み、当時では、まだ年間64例という僅かな症例ではあったが、国内ではトップとされていた。良い報告が大半の中、まったく効果が出なかった患者もいるという。一か八か、私はこの電気療法を母に試すことにした。

 3月下旬から、電気けいれん療法がスタートされた。昨今、医療機器の性能が進化し、電気ショックを施しても身体がけいれんを起さない、無けいれん電気療法という新型のものが、病院に設備されていた。患者の左右のこめかみに電極を貼り付け、電流が順調に身体に流れているのを確認する為に、片方の足にも電極を貼り付けると、Y医師から説明を受けた。昔とは違い、今では穏やかな療法だそうだが、万が一の場合を考慮し、緊急時のオペ室も準備していた。
オペ室に入り、20分程度で切れる全身麻酔をする。100Vの電流を5秒間流す。ただそれだけである。それを1週間に2回(月、木曜日)、1クール6回で終了である。

 電気療法の初日。スイッチオンの日。オペ着を身に付けた母は、身体を強ばらせ、戦振症状が出る。何をされるのか不安そうな表情を浮かべ、ストレッチャーの上で「怖い、怖い。」と言葉を連発していた。その日は、隣のベッドの舌が飛び出しているお婆ちゃんの退院の日。やや落ち着き、他の病院へ転院することになったとのこと。お婆ちゃんは、ストレッチャーに寝ている母のほうへ向かい、心配そうな顔をしながら「がんばってね」と、母に優しく声をかけてくれた。しかし、母にとっては、恐怖でそれどころではない。返答すらできない状態。そのお婆ちゃんの優しさに触れ、私は胸が熱くなり「ありがとうお婆ちゃん。」と、声をかけお別れした。

 30分後、母はオペ室から出てきた。口には酸素吸入を付け、よく眠っていた。その日は用事があり、母の目が覚める前に病院を後にした。翌日、恐る恐る私は病院へ向かった。まだ1回目では、何も変化はないと思っていた。
相変わらず、母は洗面場にはいたが、顔の表情がなんとなくいつもと違っていた事に気付いた。いつも辛そうな表情で、眉間にシワを寄せていたのだが、その日は、そのシワがなく、スッキリとした顔をしていたように見えた。さらに、精神的にも安定していた。看護師からは「母には電気が効くのかもしれない。」と期待できる言葉を耳にした。しかし、私はずっと裏切られてきたので、正直、半信半疑だった。残念ながら、深夜、再度スイッチオンが入った。

 3日後の木曜日。2回目の電気。初回で慣れたのか、母は怖がらなかった。オペ室から戻り、目が覚めるのを待った。約1時間後、母は麻酔から目が覚めたが、残り1時間はベッドに安静にしなければならない。目が覚めた直後は、なんとなく頭が重いと母は口走った。目を覚めたのを確認して私は病院を出た。
翌日、病棟に入るなり、看護師が「お母さんが自分でお箸を持って食事をしました!」と、飛び上がるほど嬉しそうな声で私に報告してきた。私は信じられなかった。長い間、母が箸を持って普通に食事をしている姿を見ていないからだ。その時、母が目に入った。そこには元気だった頃の母がいた。まるで悪霊から解放されたような、すっきりとした、健常だった頃の母がそこにいた。母は本当に蘇えったのか!? 洗面場にはいたが、冗談を言って笑わすOT(作業療法士)の言葉に、母は口を開けて笑ったのだ。母の笑顔は何年ぶりだろう。さらに母は、病院食を食べ始めた。それも美味しいそうにすべて完食した。嬉しくてたまらなくなった私は、病院へ行く途中、デパートでカロリーの高い物を買いまくる始末。奇跡だ!本当に奇跡が起きた!天にも昇る喜びだった。

 4月に入り、3回目の電気。いつものお気に入りの場所だった洗面場から母は卒業していた。外見はやや痩せてはいるが、言動は健常に戻っていた。
いつも自分のことしか頭が回らなかった母は、周囲の患者さん達や介護者に気遣っている姿を見る。本当に信じられない。まだ信じられない気持ちだった。翌日4月8日は、母の80歳の誕生日。家の近くのホテルで、母が好物のオムライスをオーダーし、私はタクシーを飛ばし、熱々出来立てのオムライスを昼食に持参した。母は、美味しそうに夢中になって食べていた。そこに偶然、Y医師と遭遇した。Y医師は、その光景を見て、笑みを浮かべながら私に向かって、手でOKサインを示してきた。これって本当なのか?まだ疑っている私がいた。もう3回目で終了してもいいのでは?と思うほど、母は元気になった。しかしながら、私の中では、未だスイッチオンの恐怖からは逃れられないでいた。Y医師は、嬉しそうな表情を浮かべ「電気が効きました。でも6回まで叩いておきましょう。」と、私に話しかけてきた。そして、3週間でトータル6回の電気治療がすべて終了した。

 平成20年4月中旬。それからというものは、母は色々な作業療法を、自ら積極的に参加するようになった。歌、貼り絵、楽器の演奏、体操、患者同士での会話等。車椅子など使わず、私と病院の敷地内を散歩した。周囲の介護者も母の回復ぶりには、目を疑うほど驚いていた。看護師のひとりが、私に語りかけてきた。「お箸を持って食事をしたときには、泣けて泣けて仕方がなかった。」
「最初にお母さんの姿を見たとき、可哀想で切なくてたまらなかった。」と、当時の感想を、正直に話してくれた。

年間64例という、まだ僅かな症例の中で、母は劇的に電気療法が効いた。と看護師は口々に言う。担当看護師からは、「当時、お母さんはおそらくホルモンのバランスを崩したのでしょうね。」「老年にも更年期があるのですよ。症状が出たときは辛かったと思います。」と、優しく説明をしてくれた。母は精神疾患ではないと私も信じていた。母の性格上うつ病になる人ではない。にも拘わらず、なぜあんなに多くの抗うつ剤を高齢者に対して医師は処方したのか?疑問を持つ。 食欲不振、不眠を訴えると、医師はうつ病と診断するのだろうか・・・。精神疾患は目には見えない。そして、誰にでも要因はあると思う。だからこそ、投薬には、相当な注意が必要ではないだろうか。どんな薬にも必ず副作用があるのを医師は理解しているはずだ。そんなことよりも利益優先なのか?人の命を救う仕事という高い志は失われているのか?医師免許を取得した途端、努力をしなくなるのか?と私は多くの疑問を抱いた。

退院前、施設のソーシャルワーカーと看護師が、母の病状を確認する為に、2人は病院を訪ねてきた。Y医師との面談には私も同席した。看護師からは、施設では焦燥感がひどくて介護が大変だったことをY医師に伝えていた。私としては耳が痛かったが、事実だから仕方がない。Y医師は「逓信病院の投薬はすべて変更しました。」「今のところADL(日常生活)には問題はありません。」と、2人の不安を打ち消すような説明してくれた事に私は感謝した。久々に元気になった母、いや別人になった母を見て、2人の驚いた様子が印象的だった。

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  1. 2012/07/23(月) 22:32:34|
  2. 投稿-薬剤性パーキンソニズム-
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