私は、集団ストーカー被害者から統合失調症の診断を受けました。自分が劣化したように感じます。日常生活のことがきちんとできなくなりましたし、前は少しストレスに耐える精神力も、ポジティブな感情もありましたが、今では、誰かに依存したい感情がでてきました。でもそこから逃げ出せずにいます。自分の意思が削がれる思いがします。
この美しくて魂のこもった文章を見て、泣けて涙が止まりませんでした。これを書いた方が、社会でつぶされることなく、社会からの支援を受けられるよう、仕事ができるよう、祈るような気持ちです。ありがとうございます。
- 2012/08/11(土) 17:08:22 |
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- saichoco #-
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この国には昔から地域のコミュニティーがしっかりと息づいていた。
老人と、子供たちが一緒に遊べる神社がそこらにあった。
お祭りに家族で行く。
冬には焼き芋を落ち葉で作る。
そういう国だった。
ところが、戦後に無知なアメリカの指導部が、そういう地域のつながりを破壊した。
神社を壊して、集える場所を減らした。
個人化、などといって、人とのつながりを排除する思想を植え付けた。
先輩が後輩の面倒を見る、という大切な部分を見ないで、暴力的な上下関係だけに視点を当てて、それを忌諱する風潮を作った。
人に心を開けない人が増えた。
自分の悩みは言えない。だから薄い友人関係にしかならない。
さみしいけど、それを許容してきた私たちにも問題がある。
個人では生きていけない当然の摂理を、もっと人に頼り、頼られながら生きていくことの大切さを。
世話焼きなオヤジに、一生懸命人の世話をするジジイに、いつか私もなりたい。
人の輪を大切にして、と思います。
- 2012/08/13(月) 11:12:53 |
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- アキラ #CQytC6ZQ
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はじめまして。
私は昨年PSW、今年の春に社会福祉士の資格を取った専門職です。実務経験こそあまりないのですが、大学在学中から精神医療や精神障害というものについて疑問を持ち続けておりました。
実習や現場で短い期間働く中で、利用者さんや当事者さん方の苦しむ姿を見ながら、この問題がこの国の福祉における根本的な体質の問題や地域コミュニティの崩壊、人々の無理解やマスコミの誤った報道などによって、多大な偏見や差別の中にさらされている結果であることを確信させられました。
私は現在、精神医療や精神障害関連の仕事からははずれているのですが、作業所の職員を短い期間勤めていた当時に知り合った利用者の友人を助けながら、この問題について取り組んできています。
この友人が本当に孤立して、家族からも虐待を受け続け、医療からも偏見を受け、ぶちこまれた病院で拷問を受け、人間として扱われず、大量に薬を投与され、本当に生きる望みもなくし、何度も自殺を図り、人からも裏切られ、何もかもが失われた状態でした。
彼は必死で自分の体験を少しでも調子のいい時に、携帯メールに書き遺して、いつか本にできるように保存していました。
それをある日、職員であった私に読んでほしいと持ってきたのです。
私が疑問に思ってきたことは、何も歴史上の話でなく、今まさにこの人の上にも起きていたことを知り、大変なショックを受けました。
私は専門職として何ができるのか考えました。
しかし、今の福祉現場では、公然と当事者さん方に対してひどいことが行われている現状です。
私は彼の書いた原稿が、心の叫びのすべてであることを見逃すわけにはいきませんでした。
それは彼自身に元気で第一線でバリバリ働いて、ごく普通に生活していた過去があったことを知ったからです。
そんな当たり前にごく普通に生活して、自信を持って生活していた彼がなぜこんなにめちゃくちゃな人生を歩まされることになったのか、これは誰もがありうるごくわずかな歯車の狂いから起こりうることなのだと思いました。
原稿をいつか必ず出して訴えていきたい、だから助けてほしいという願いを、職員だった私に持ってきたのでした。
私は当事者の皆さんの人権というものを考えた時、福祉の専門職としてこのままでいいのだろうかと思うことが多々あって、その度に職場でやりあってはやめるということを繰り返してきました。
仕事を最終的にやめた理由は、職員でいると福祉専門職のままで当事者の彼のことに向き合うことができないと思ったことです。
彼は何もかもを失って、ただ一つ残った原稿を持って私にやってきたのです。
その深い意味を考えると、私はこの2つの資格を取った意味が何であったか、この2つの資格を取ったことに至ったこれからの課題はまさに人間として人に接すること、人という者の誰に対しても尊厳があり、生きる権利があること、その原点について自分自身に対しても向き合っていくことなのだと思いました。
彼が今一番求めているのは、福祉専門職の私ではなく、ごくごく身近で隣でいつも話を聞いてくれる私なのです。
そして私もまた、彼にいろいろ話を聞いてもらって、気がついていないことを教えてもらっているのです。
こういう身近な隣合わせのつながりすらなくなっているのが今の社会の現状なのですね。
仕事ではなかなか一人の人に向き合うことはできません。
また、それはしてはならないことになっています。
しかし、この問題は本当に一人の人に向き合っていかないとなかなか見えてこないことですし、健常のまま専門職になった者にとっては、非常にわかりづらいことだらけで、とても理解にはつながらないのです。
私も今でもしょっちゅう行き違って、容赦なく大げんかの連続です。
それでもお互いしんどくなりながらも、話し合い話し合いしながら、お互いに立場の違う中で学び合っている状態なのです。
彼は今はだいぶ元気を取り戻してきています。
断薬治療も始まって、まだまだしんどそうにしていますが、自分がこれからどうやって生きていきたいのかはっきり目標を持つようになってきました。
原稿を本にしたい、自分の体験を知ってもらって、精神医療の在り方や薬の投与を問いたい、仲間たちを助けたい、精神障害者に対する扱いについての社会問題について生涯を通じて少しでも改善するように運動していきたいといつも言っています。
私もまた、彼の本に続いて、専門職の立場から福祉の現場や社会全体での現状について疑問に感じることを書いて訴えたいと思っています。
彼らがまともに人間として扱ってももらえていないことや、上から目線であごで使われていること、動物以下の扱いを平気でされていることなど、とてもかつて当たり前に普通に生活していた人に対する扱いでは考えられないような現実が起きています。
「人権擁護」とは名ばかりで、本当に私たち専門職は彼らを守ることができているのか、目をそむけてばかりいないか問いたいです。
確かに専門職や福祉の現場では逆行していることなので、なかなか受け入れてもらえず、孤立ばかりしていますが、私も本当の意味での当事者さんの立場に立った支援とは何かということを一生懸命考える同じ立場の専門職仲間を探していました。
せっかく苦労して取った資格です。
今度、私が職場に復帰するとすれば、本当の意味で精神障害者の皆さんに対する人権擁護について関わる仕事がしたいと思っています。
彼も元気になったら、一緒に精神医療の在り方や多剤投与の問題、深刻な人権侵害の実態などを世の中にもっと広め、少しでも生きづらさを抱えた当事者の皆さん方が住みやすい社会になるよう活動していきたいと話しています。
彼はパソコンができないので、私が代わって書きました。
私で何かできることがあれば、ぜひご一緒に活動できればと思っています。
どのようにご連絡を取らせていただいたらいいのかわからないので、また教えていただければ幸いです。
- 2012/12/26(水) 16:44:41 |
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- まねきねこ #HeBlj19M
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共感しました。
就労支援施設の職員をしておりますが、仕事としてやっていくには限界を感じています。
同じ様に考える方の言葉に出会えて嬉しく思います。
- 2013/01/13(日) 13:14:45 |
- URL |
- rc #oUIczFWc
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