被害者にならない為の知識-精神薬を学ぶ-

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薬剤性パーキンソニズム

 老人介護に疲れ、子が親を殺めてしまった。老いた親を道ずれに一緒に死のうと思ったが、介護者だけが逝ってしまい、病弱で老いた親だけが一人残されてしまった。こんな悲しいニュースを、昨今どれだけ耳にしてきたであろうか。
つい最近である、同年代であった私の知人が浴室で首を吊り自殺したことを知らされた。母一人、子一人だった。認知症になった母親を娘一人が介護していたとのこと。聞くところによると、その母親は、被害妄想の症状が出て、娘から虐待を受けていると近所中に言い触らしていたという。
過剰なストレスにより、結果、誰にも相談できず自ら死を選ぶしか手段はなかったのか・・・非常に悔やまれる次第である。
変わり果てた親の姿、意味不明な言動、感情失禁、まさに老獪とはこのことだ。
病気だから仕方がないと理解しつつも、その現実を受け入れるには、家族として中々難しいもの。
また、極まれだが子供が若年性認知症になり高齢の親が過酷な介護を強いられるという逆のケースも中にはある。これには胸が詰まり言葉を失う。

私の父はアルツハイマー型認知症であった。物忘れからはじまり、被害妄想、深夜の徘徊、老人性うつ、汚物を洗面所に並べる等、色々なことはあったが、なんとか母と助け合い対処してきた。一日5時間、介護ヘルパーを依頼した。
幸いと言ってよいかどうか分からないが、認知症を悪化する前に、父は急性心筋梗塞で、平成16年6月22日79歳で他界した。

2年後の平成18年、母は78歳。やや勝気な性格である一方、世話好きで、子供のように天真爛漫で華なことが好きな人である。
高齢な割には、大病もせず医者には無縁で今日まで来た。これからは、2人(母と娘)で旅行を楽しもうと、初めてのクルーズ旅行を予約し心を弾ませていたそんな矢先のことである。

 その年、8月夏の終わり頃、ある日、突然、母の体調に変化が現れた。その後、僅か一年半という短期間で、健常だった母は要介護5という最悪の認定を受けるまで、急激に状態が悪化してしまったのである。一体、母の身体になにが起きてしまったのか?入院先の主治医からは、回復不可能という診断書まで手渡される始末だ。

 翌年の平成19年末。
「悪夢」その言葉が妥当であろう。
体重25キロ。そのやせ細った母の腹部からは胃に栄養分を流し込むチューブ「胃漏」が造設されていた。そんな虚弱な身体でありながらも、母は興奮状態から部屋や廊下を歩き回る。それも一日置きに、24時間就寝しないで立ちっぱなしという異常な行動が続いたのだった。その上、奇声を上げる。
時には「殺してくれ」と、興奮状態になり、母は私に言い放つ。
一体、いつまでこんなことが続くのであろうか・・・。
先の見えない闇というのはこのことだ。

ことの原因は、向精神薬の多量摂取による「薬剤性パーキンソニズム」であった。主治医はこれを見過ごしていた。と言うか、きちんと患者を診ていなかったと私は考える。家族の中で不幸が相次ぎ、体調不良を訴えた母に医師から処方されたのは多くの向精神薬であった。明るく元気だった母は、日に日に衰え、廃人になっていく様子を、私はただ観ているしかなかった。
物忘れ、焦燥感、周徊、パニック、幻覚、せん妄、被害妄想、凶暴、自殺未遂。
壮絶な介護地獄を私は余儀なくされた。

 冒頭で述べたように、実は、この私も過酷な介護に疲れ、死を考えたひとりである。それも母と道連れに。当時、その道しか選択できない程、私は心身ともに疲弊していた。しかし、私の中で、こんな最悪な状態で母を見殺しにするわけにはいかなかった。もう一度、たった一度でいい、母に美味しい物を食べさせてあげたい。最後に「幸せだった」と天国に旅立たせなければ・・・という絶対的使命感が私には残っていた。そうでないと、先に逝ってしまった父や兄に申し訳ないと思ったからだ。

 こんな身を削りながらの介護の中、「奇跡」が起こった。名医に遭遇したのだ。遠回りはしたものの、母にとって、ようやく適切な治療を受けることが出来た。
一般的には聞きなれない言葉だが「無けいれん電通療法」という治療である。脳への電気ショックだった。多量に服用した向精神薬の副作用の為、完全に誤作動してしまった母の脳は、電気ショックにより正常な脳に完璧にリセットされたのだ。この治療で、母は要介護5という最悪な状況から脱出できた。回復不可能と最悪な診断を医師から伝えられ、周囲も半ば諦めていたのにも拘らず、母は見事に地獄から「生還」したのである。今では要支援1と認定を受けるまで回復し、毎日、施設で楽しく過し、時々、私と銀座の街を散歩するほど健常者に戻り、幸せな日々を母は送っている。
3度もの危篤で死の淵を彷徨った母。こうなった原因は一体なぜだろうか? どのようにして廃人から生還に至ったか、詳しく経緯を振り返ってみよう。


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  1. 2012/07/18(水) 16:53:08|
  2. 投稿-薬剤性パーキンソニズム-
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