被害者にならない為の知識-精神薬を学ぶ-

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総合病院へ転院-またしても裏切り

 その翌日、帰宅して3日目だった。朝6時半、しっかり熟睡して目覚めの良かった私は、隣に寝ている母の部屋に入り、様子がおかしいのに気が付いた。母は、苦しそうにベッドから身を乗り出し、息苦しいと言ってうろたえていた光景が目に入った。検温したところ38.5度の高熱。慌てて救急車を呼んだ。救急隊が母の人差し指から、体内の酸素量を測っていた。78という数字が耳に入ってきた。正常は95以上あれば問題ないそうだ。刻一刻、容態が悪化する状態であった。救急隊は、入院していたH病院に戻ることを勧めたが、私は断固として断り、救急隊員を困らせた。興奮していた私は「あの病院へ行ったら殺される!やっと退院させたのに!」と、声を荒げてしまった。

 平成19年10月12日。
私の我儘を受け入れてくれた救急隊員は、必死に病院を探し、結果、近くのS病院に辿り着いた。母を診察した若い女医から、最悪の事を考えてほしいと待合室で言われた。「またか」と思い酷く落胆した。もしこれで母と最後になったとしても、2日間、母と時間を共有でき良かった、と思うよう無理に言い聞かせていた自分がいた。一人で待合室にいるのが不安だったのか、無意識にボリボリと爪のネイルを剥がすという異常な行動をしていた。とにかく不安でじっとしていられなかった。

1時間が経過した頃、母が安定してきたと医師から嬉しい説明を受けた。
早速、入院の手続きをすることになった。病棟に入り、酸素マスクと点滴の処置を受け、静かに母は眠っていた。丁度、その時、E院長が心配して病院に駆けつけてくれた。若い2人の呼吸器内科の医師が担当(T医師、O医師)ということで病室に入ってきた。私とE院長は別室に呼ばれ、医師2人に今までの経緯を詳細に説明した。恥を偲び、母はそれまでに自殺未遂や暴行に及んでしまった辛い事実を、私は2人の医師を信じ伝えた。向精神薬を服用してからは、母は別人の様に変わってしまったことや、H病院でリスパダールを処方されてから、さらに症状が悪化し、今まで以上に酷い状態になったことを、私は正直に説明した。医師2人はきちんと理解してくれていると、その時、私は思っていた。それから、肺のレントゲン写真を見ながら医師は説明を始め、H病院を退院してよかったとO医師が言い始めた。「右肺の殆んどが真っ白です。」「そのために呼吸困難になっているのです。」「はっきりとは断定できませんが肺がんの可能性もあります。」と、T医師から深刻な説明を受けた。兄の次は母が肺がん?煙草も吸わないのに?O医師からは、リスパダールは単なる抗不安剤で危険な薬ではないと言ってきた。O医師の説明には反論しなかったが、明らかに母は、向精神薬の多量投与で悪化したと私は理解していた。人間は、皆、マニュアル通りではない。年齢、体格、体質は、皆、違う上、副作用の症状も異なるはずだ。そこは、まだ若い医師だから仕方ないと、私は特に反論はしかなかった。

翌日、主治医のT医師は「抗生剤が効いたようで、右肺の影が小さくなりました。」「良かったですね。肺がんではなかったです。」と説明があり、私は安堵した。病室で、母は静かに眠っていた。入院3日目、T医師が「ちょっと患者さんに困っているんですよ。何とかしてください。」と、昨日とは違い、怪訝な顔で、私に言葉を発してきた。病室に入ると、母はまた不安そうな表情を浮かべ、身体中を震わせていた。今後も懸念される中ではあったが、私はやっと一般的な総合病院に入院ができた喜びから、これからは他の診療科と連携しながら、母には適切な治療が受けられるだろうという、一縷の望みを持っていた。

 ところがその期待は、見事に裏切られてしまったのである。主治医となった2人の若い医師から、母と私はイジメに遭ったのである。自殺未遂、暴行行為に及んだ狂った老人なんか早く出て行けと言わんばかりの嫌がらせを受けたのだった。母は肺炎も落ち着き、熱も下がり容態は安定していた。しかし、まだ食欲はなかった。T医師は「もう食べられるはずなのに、食べたくないんだろう。死にたかったんだから。」と、心ない言葉を私に浴びせ、ふてぶてしく病棟の廊下を歩いていった。老人は若い人とは違い、回復には相当な時間が必要である。やせ細り、入れ歯を装着できなくなった母にはとろみ食が出たが、見るからに食欲失くすものであった。売店で、口当たりの良い栄養剤のゼリーやヨーグルト、プリンを少しずつ私は母の口には運んだが、やはり飲み込むことに非常に過敏になり、喉を通すことが非常に難しい状況になってきた。

 既に、物事の判断すら厳しい状態になった母。後見人制度等の手続きの為、医師との面談と診断書を書いてほしいと弁護士から話があった。そのことをT医師に伝えたところ、いきなり高飛車に「弁護士を病院へ連れてくるなんてありえない。今までそんな話聞いたこともない。」と意味不明なことを言い出し、私は困惑した。弁護士とは、父の時代からのお付き合いで、今回、母へのお見舞いの意味もあったからだ。その事を説明しても「弁護士に声をかける前に、こっちに声をかけるべきだろう。」「こっちは忙しくて時間がない。」「そんな責任のある診断書なんて怖くて書けるか!」と、目を背けながら乱暴な言葉を私に投げつけるように発した。私は恐ろしくなり、なんだか訳も分からず、私はT医師に謝罪したのだった。すると「あんな精神科医(E院長)を連れてきて失礼じゃないか!」「一日だけ顔を出して医師として無責任だ!」と、T医師は、なぜか怒りまくっていた。
E院長は、出しゃばってはいけないことは十分に理解した上で、私の心身を案じて病院に駆けつけてくれたのだ。それもたった1度だけ。
病院に世話になっている間は、煮えくりかえった感情を、私はグッと腹に抑えることにした。精神科病院からの転院というのは、これだけ世間から偏見な目で見られ、冷たい対応をされるのだと、痛いほど思い知らされた。

 翌日、母に食事が運ばれなかった。即座に、T医師の嫌がらせと直感した。そこに研修医のO医師が病室へやって来た。昨日のT医師とのやり取りを、既にO医師は耳にしていた様子を感じた私は、「私の言い方に誤解を招くことがあったようで・・・ごめんなさい」と、一応謝罪した。正直、私は誤ることはないのだが、万が一、母に嫌がらせをされたら困るので、とにかく入院をしている間は、低姿勢に行動する方が利口だと思った。
「母を絶対に救う」その一心で行動していたからこそ、どんな事でも耐えることが出来たのかもしれない。

 入院して10日程経過し、母は少しずつ食欲が出てきた。病院食は美味しくないので、私は母の好きな物、栄養価の高い高カロリーの物を作り、ミキサーで粉砕し、昼、夜の2食分を病院へ持参した。さすがに朝食までは準備ができないため、病院から出る牛乳やジュースを飲んでもらうことにした。
入れ歯がないために、ドロドロしたものを私はスプーンで母の口に運んだ。
味が良かったせいか、よく飲み込み、ほんの少しではあったが、母は全体的に肉付きがよくなり嬉しかった。

僅かながら、順調に回復していた10月下旬頃。またもや母は、高熱を出してしまった。嚥下性肺炎と診断されたのだ。再々度、又、母は食べられなくなり、点滴で栄養を送る事にした。多くの向精神薬を服用した副作用のため、母は飲み込む力が衰え、悪化する一方であった。そのため、痰を自力で出すことすらできない。T病院に入院してからは、鼻と口から痰を看護師に吸引してもらっていた。幼少の頃から、母は慢性副鼻腔炎であった。吸引しても、また直ぐに痰が出る始末。呼吸困難になる為、頻繁にナースコールを押さずにはいられなかったのであろう。その行為は、病院からとても煙たがられてしまった。患者は、母だけではないので、忙しい中、私も申し訳ない気持ちで恐縮した。
しかし、痰が喉に詰まり、息苦しくなるのが、母は怖かったのだと思う。病院と母の間に挟まれ、私は常に気苦労が耐えない状態で、神経が磨り減っていた。

 秋も深くなった11月。熱も下がり、そろそろ点滴を外してもいいとO医師から説明を受けた。しかし、喜んだのも束の間、これまた高熱が出て、今度は母の意識が朦朧としてきたのだ。医師達も焦った。しばらく原因は分からなかった。もう点滴も外せなくなった。2~3日経った頃、T医師から、おそらくインフルエンザでしょう。そうなると、タミフルを使用することになりますと淡々と語った。

久々に区役所から認定の調査員が病院へ訪れた。というのは、兄夫婦のところへ母が行っていた頃、認定の継続手続きをしていなかった為、途中で中断されてしまったのである。再度、申請書を提出し、調査の結果、要介護3と認定された。週末の日曜日、看護師が見たこともない点滴を準備していたのが目に入った。看護師に何の薬か聞いてみた。すると「先生からまだ伺っていないのですか?」「お母さまはMRSAという感染症にかかりました。」と説明をされたが、何のことかさっぱり理解ができなかった。帰宅後、早速PCで「MRSA」を検索した。院内感染の恐怖と書かれ、黄色ブドウ球菌のことだった。黄色ブドウ球菌は、鼻、喉の粘膜に多くいる細菌であったことが分かった。
私は、主治医から「MRSA」という深刻な病気に母が感染した事を、一切、知らされてはいなかった。というか、医師達は感染症になったことを、親族には、知られたくなかったと理解する方が正しいだろう。

母を見舞いにきた友人に伝えたところ「やっぱり!」という返事が返ってきた。母の鼻、口から痰を吸引する際、看護師は、一切、消毒していなかったのに疑問を感じていたと友人言う。確かに、吸引に使用していたカテーテルは、吸引する度ごとに消毒はしていなかったのは確かだった。しかし、准婦長だけは、丁寧にカテーテルを扱い、慎重に消毒を行っていたのは覚えている。准婦長以外は、皆、杜撰で怠慢な看護師が多かったのは事実。使用したカテーテルは、そのまま水の入ったビーカーに突っ込んでいた。そして、それをまた使用するのである。病院でありながら、不衛生としか言いようがない。
母のように高齢で、体力が弱っている場合には、肺炎を避けるため、病院は隔離しなければならない。と友人は教えてくれた。病とは殆ど縁のなかった私には、聞くことすべてが始めてで、目からウロコ状態。言われてみれば、病棟の廊下にブルーの大きいゴミ袋があったことを思い出す。そのゴミ袋は、毎日、いっぱいになり、それには感染症と大きく書かれていた。ということは、ここでは多くの患者が感染していたのか!? こんな大病院までもが、こんな杜撰な事を・・・。
既に、感覚が麻痺していたのか、医療機関を一切信用しなくなっていた私には、何が起きても驚くことはなかった。

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  1. 2012/07/23(月) 22:20:23|
  2. 投稿-薬剤性パーキンソニズム-
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